なんとか18時からの勤行に間に合ってほっとした。
御開山聖人にお礼を申し上げ、夜伽の法話をお聴聞する。
朝は、冷たい空気の中で、漢音小経と正信偈真譜のお勤め。
御開山聖人ましまさない私の人生とはどうんなものだったのだろう。未だいのちの方角も立たず後生不安と泣いておったろうなと思う。
今は、このいのちの一息一息までも尊くて有り難いものとして賜っている。このいのちを支える呼吸、その一息一息にお念仏が時に声となって下さる。
もはや、独りで生まれ、独りで死に、独りで来て、独りで去る、そんな悲しい生死ではない。
喜びもあれば悲しみもありながら苦悩多い人生を、阿弥陀さまはいつもご一緒下さっておられる。
御開山聖人も、いつも一人と思うなよとご一緒下さっておられる。そんな人生を賜っておる。
やがてこの世の命を終える時があるけれども、それをいつかとても不安に思っているけれども、阿弥陀さまは、その行き先をお浄土と告げて下さってある。
そうか、私はこの度はついに仏さまにならせていただくのか、そう聞かせてもらうと、この土は苦悩の多き場所と泣きながらも、なんとも懐かしい感じがする。ご恩でないものはないという心地がする。
大切にこの一息一息を、ご恩の中で過ごさせて頂きたいと思うのでありました。
なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。

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