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報恩講

15日は御正忌報恩講、ということで夕方からご本山。
なんとか18時からの勤行に間に合ってほっとした。

御開山聖人にお礼を申し上げ、夜伽の法話をお聴聞する。
朝は、冷たい空気の中で、漢音小経と正信偈真譜のお勤め。

御開山聖人ましまさない私の人生とはどうんなものだったのだろう。未だいのちの方角も立たず後生不安と泣いておったろうなと思う。

今は、このいのちの一息一息までも尊くて有り難いものとして賜っている。このいのちを支える呼吸、その一息一息にお念仏が時に声となって下さる。
もはや、独りで生まれ、独りで死に、独りで来て、独りで去る、そんな悲しい生死ではない。

喜びもあれば悲しみもありながら苦悩多い人生を、阿弥陀さまはいつもご一緒下さっておられる。
御開山聖人も、いつも一人と思うなよとご一緒下さっておられる。そんな人生を賜っておる。
やがてこの世の命を終える時があるけれども、それをいつかとても不安に思っているけれども、阿弥陀さまは、その行き先をお浄土と告げて下さってある。
そうか、私はこの度はついに仏さまにならせていただくのか、そう聞かせてもらうと、この土は苦悩の多き場所と泣きながらも、なんとも懐かしい感じがする。ご恩でないものはないという心地がする。

大切にこの一息一息を、ご恩の中で過ごさせて頂きたいと思うのでありました。

なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。


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はや15日

11日は夜行バスで東京に。所属寺の今年最初の聞法会、講師は東京の若手のホープ、Kさんだ。

若者らしく、元気のいい法話。どうも最近はみんな布教の勉強しすぎなのだろうか、せっかく若いのにお年寄りみたいな話をする方が多い。多分、尊敬する先生に寄せているのだろうけれども、今には戻れないのだから、若さを活かし、若さ故の直情的なものもあっても、聞くん側としてはバリエーションがあってよろしい。

Kさんの法話は、よくよく研鑽を重ねた熟味と若さが見事に融合した話ぶりで、楽しめた。

浄土真宗の行について、例話を巧みに交えながら、お話下さった。

この日は、後輩や、聞法の友人達も参詣して有難かった。

夜は住職によるご講師のご接待の酒に、後輩と同席させて頂いた。その後、24歳の若者が加わり、その相談を聞くという塩梅。24歳なのに、自分よりよっぽどしっかりしてる。
(^_^;)それにしても、お酒が旨い。
楽しかった。

12日家の用事をするのだけれども、神奈川の家族に誘われて、映画「アナ雪2」を観る。2回目なんだけれども、歌もののせいか、二度目の方が楽しめた。

また夜行バスで川崎から大阪に戻る。

カナダのバンド「RUSH」のドラマー、ニール・パートがこの世を去った。人間国宝と言われ、ロックの世界を代表するドラマーの一人だ。
個人的にまだ観ぬ大物バンド、観たいバンドの筆頭かRUSHだった。1984年だったか以来、来日は実現していなかった。
人生は進んでいく、ということをまた少し感じた。
好きだったもの、目に見えているもの、その景色が未練を残しながら移り変わっていく。
今を大事に、大切に。今の一声のなもあみだぶつを大切に賜っていきたい。

日々はともかくも過ぎていく。その過ぎる日を「虚しく過ぎる」ではなく有り難く賜りたいし、賜っているのだけれども、過ぎる日々の寂しさは仕方がないね。いつも、悔いが残る。怠け者だからかな、そんな思いがする。なもあみだぶつ。

13日から15日まで、少し疲れが出ながらもなんとか過ごした。なもあみだぶつ。




新年が明けた

新年明けましてはや10日。

31日の夜の新幹線で神奈川の自宅に帰った。
23時50分に帰宅、なんとなく、新年はお仏壇の前で迎えたいのが毎年の思いである。なんとか間に合った。

なもあみだぶ、なもあみだぶつ。

平成が終わり、令和元年もあっという間に終わり、今年は精進しようと思い、町をふらふらする。

年末と新年はなんとなく好きだ。100万人都市だけど帰省してる人も多いのか、星が綺麗に見える。

所属寺の元旦会にお参りして、家の掃除などをする。

3日には家族を集めて、鍋を振る舞った。
とにかく家の事を色々してたら、案外忙しい。
映画を観ようと五本レンタルしたDVDはついに一枚も観られずに、レンタル屋さんに寄付したようなものだ。
最近は一枚100円なので少し借り過ぎてしまう。そして結局観ずに返す。なんと愚かなと思う。

そうしてぼやーと正月は過ぎて、9日に新幹線で大阪。
8日の夜行バスなら2000円で帰れたのだけれども、9日の朝まですべき事があった。

車中、無論、崎陽軒のシウマイ弁当を食べる。
シーうまい!(^.^)と叫びたくなるうまさ、いつも買う。
車窓の富士山がいかにも富士山という感じだ。

法務中に自転車を走らせて、ふと小川を見ると、ヌートリアちゃんがいた。ウワサには聞いていたが初めて見た。カピバラのようで少し可愛く感じた。

このヌートリアほど悲劇的な動物もあるまいと思う。
もともと、戦時中の飛行機乗りの服にするのに、飼育されていたと聞いたことがある。食用もされていた。

しかし、戦争も終わり、需要がなくなって、放逐されると、爆発的に増えて、ウィキペディアによれば、世界の侵略的外来種ワースト100で、日本の侵略的外来種ワースト100だそう。
自分たちで利用しようと150頭輸入して、需要がなくなれば侵略的外来種ワースト100だ。
人間の都合で殺害駆除が推奨されるというのは、人間にとってもヌートリアにとっても悲しいことだ。



我らも都合よく使われて、やがて力衰えて捨てられていく。追いやられていく。寄り添うヌートリアの夫婦を見て、これは私だ、と思った。
そう思っても、自分たちで輸入したヌートリアを食べるのでもなく、毛皮にするのでもなく、ただただ駆除をしていかねばならないのも、人間の有様だ。どん詰まりだ。

阿弥陀さまは、この姿を裁くことなく、悲しんで下されたとお聞きするけれども、なんとも情けのない私だなあと思う。

そういえば今年は子年だったなあと思い、またキコキコと自転車を走らせるのである。ドラえもんはヌートリアも苦手だろうか、などと考えながら。

10日の夕方は軽く吹田で立ち飲みしてから、京都でお聴聞。お酒というよりも、安い小鉢をいくつか食べたかった。

早いものでご本山では御開山聖人の御正忌報恩講。還相回向のお話を聞かせてもらった。

人と死別ということがある。それは悲しい。
しかし、よくよくお慈悲を聞いてみれば、死ぬということを、死んで虚しく終わるんじゃないよ、お浄土に生まれるんだと私に告げて下さる。
お浄土に参りては、すぐに娑婆に還って、なもあみだぶつのおはたらきとなって、苦悩の人々と共にお浄土にお参りさせて頂くのだなあとなもあみだぶつ。
今生は自分の事ばかり、悲しい有様だ。

この私にも、いつも、お浄土の先人たちがともにいて下さる。なんとも懐かしく、たのもしい。そして、少しお恥ずかしい(^.^)

龍大図書館で必要なものを少しコピーして、夜行バスに乗り込んだ。明日は東京の所属寺の聞法会だ。

少し疲れてるけれども、旧友とも会う約束もあり、楽しみで、なもあみだぶつ。
(^ ^)

こうして、新たな年が明けましたのでありました。
どんな年になるのか楽しみでもあり不安でもあり、相変わらずのよちよち歩きでした
(^_^)
なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。




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