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年末

年の暮れ、師走という言葉があるけれど、忙しいといえば忙しく、暇といえば暇であるような日々を過ごすばかりである。要は人から依頼を受けていない時間、自分の自由になる時間を如何に過ごすか、ここはひとつ坊さんの資質の分かれ目でもあろう。

お聖教は毎日拝読し、仏教書も勿論毎日読むのだけれども、26日の夜は呑気に今年最後になるだろう映画鑑賞に向かった。いうまでもない「スターウォーズ」のエピソード9であるのだろうけれども、私とスターウォーズの歴史はさほど長くない。エピソード7に合わせて、一生懸命エピソード1、2、3を観て、更にエピソード4、5、6を観直して、初めてスターウォーズとはこのような話であったかと概要を掴んだくらいで、ニワカであって初心者である。

ということで、スターウォーズを観た。主人公のレイは好きだが、カイロ・レンはいつ見ても情けない雰囲気に感じてしまう。ミスキャストという言葉も頭をよぎる。



27日は池田市のカップヌードルミュージアムに行ってみた。
手作りチキンラーメンは時間がかかりすぎるので、オリジナルカップヌードルにチャレンジした。楽しいものだ。
将来は寺院の行事などに関わることもあろう。その時の為に、色々見ておこうというのが大義名分である。

今年は夏に法務先のお寺で、灯籠つくりとかをやったけれど、何かをみんなで手作りするのは楽しいし、お互いのご縁も深まる。絵手紙とか人に教えられるくらいに覚えたいとか思う。



パノラマカメラなら全体が撮れるかと思ったが、こんなのになった(・Д・)

夕方は喫茶店で軽くレポート作成。

28日は今年最後の月参り、お寺の備品の整理。
夜は少しだけ飲みにいく。

暴れるいきった酔っ払いのケンカの仲裁を例によってしゃりしゃり出たら、3発も殴られ、ひざ蹴りをくらい、髪の毛引っ張っられた😵ひー

しかし、昔はカワサキの狂犬と自称する男、まったく効かないのでむしろ困惑した。まったく争うつもりもないけど周りに離されてとぼとぼ帰る。酒はさけられないとはいえ、嫌なものだ。一人静かに飲みのが意外と好きだ。色々思うことあって反省する。トラブルにわざわざ出ていくのはどうかということ。でも、だいたいケンカっていうのは本人達もサヤの納めどころというか、止めてもらいたがってるもので、周りに引き離されなければ止められるという思いもあったのだけど、これからは見て見ぬ振りすることになるのだろうか。


29日は、正月の為に法務先のお寺のお荘厳。夜は忘年会ということで、焼肉をご馳走になった。
これがおいしい。最近は安い焼肉しか食べてなかったのだけれども、おいしいなあと思った。

そこには、ただおいしいという気持ちがあって、いのちを頂かなければ生きていけない我が身と、私のいのちになって下さったいのちへの感謝の心は忘れられてたことを反省する。来年も精々頑張ろうと思った。

30日31日、大阪のアパートの掃除をしてから帰りたい。なかなか終わらんね。
😵ひー


そうして、今年も過ぎていくのでした。
あっという間の一年だったといえる。大切な一年になりました。

その一年、いつも大悲の阿弥陀さまがご一緒であって下さいました。
それは私の日常を離れないのでありました。
日日の日暮らしの他に私はなく、その隅々にまで行き渡って欠け目のないお慈悲でした。

それが、なもあみだぶつなもあみだぶつと私を支えて下さって、今年も浄土に近づかせて頂いた尊い一年だったと暮れていきます。

なもあみだぶつ。





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24日25日は福岡

24日は、大阪ら飛行機で福岡に。
『愚禿鈔』の勉強会。

読んでも部分部分はともかく全体として、何が顕そうとしているのか、正直よく分からない『愚禿鈔』という書物を、詳しくご講義下さった。有り難い。

今年の、講義参加はこれでおしまいかな。あとは自分の研究したいことをしようかと思う。

ラーメンを二杯食べて、辛子明太子を買い25日の夜遅くに、飛行機で大阪に帰った。


なもあみだぶ、なもあみだぶ。





21日22日23日

21日、22日は長野で今年最後の災害ボラ。

東京で防災関係に携わっている、という方に言わせると、都心を流れる某A川は溢れる寸前であって、地下の貯水施設は八割を超えて、時間帯が引き潮の頃でなんとか耐えることが出来たとのこと。満潮にあたってたら、A川は洪水しておったであろうということであった。

その真偽はともかくも、今日あって明日がない、当たり前の日常というのは、本当は有り難いことだったと思うばかり。

真宗の割と盛んな地域で、水浸しになって、屋外に置かれているお仏壇を多く見かける。こっそりと、合掌させて頂く。昔から何回か洪水が起きてきた地帯でもあるけれど、その度にこの阿弥陀さまを依り処として、ここでまた生活なされて、ご相続なされてきたのかなと思う。

阿弥陀さまは、私たちの悲しみの全てを知っておって下さって、このいのちの行き先に、お浄土があるぞ、そこに生まれていくんだよ、と仰せになって下さる。

明日の命は誰も分からない、その不安の中で、お浄土で参らせて頂くいのちなのだと聞かせてもらいます。



夜は、長野駅近くの昔ながらの銭湯に入り、少し長野の郷土料理と地酒を飲んでみる。旨い。

夜行バスで京都に帰る。ぐーぐー寝た。朝5時に叩き起こされるが如く京都駅前に放逐される。
倒れそうな程に眠い。ホテルのロビーを借りて少し目を閉じる。

本願寺のお晨朝にてくてく歩く。相変わらずいつもの方々が最前列で「なもあみだぶ、なもあみだぶ」とお勤めの時間を待ちかねておられる。

私も最前列、その隣に座らせて頂いて、親鸞さまと阿弥陀さまにお礼を申させて頂いた。

ご本山でのお晨朝にお参りするのは、今年はこれが最後かなと思いつつお念仏申した。

朝の法話の内容は、なんでも坊守さんから唯一褒められることがある。とのことで、朝のお勤めを欠かしたことがない、たとえ38度の熱とかインフルエンザでもそれだけは欠かしたことがない、それが唯一褒められること。北海道の別院に勤めていた時、お堂はマイナス25度にもなって、お勤めは嫌いだった。ところがお参りにいったお宅で、中学生の子が「お坊さまがお見えになられた」と取り次いた。その時に、お袈裟を着させてもらうことの重さ、お勤めの有難さが分かった、その人は私にとっては菩薩さまで、みなさんにもそういう方があられるのでしょう、というようなことを聞かせてもらった。

なもあみだぶつ。









20日

20日は、某大阪の真宗の学校で研究発表会。
午前聴講して、午後は法務、夕方から懇親会に参加、というスケジュール。

研究発表会は論文の要旨を短い時間で発表するので、何の事やらついていくのが精一杯なのだけども、興味深く拝聴させて頂いた。

特に、『三部経大意』の書誌学的研究は、へーと思うこともしばしば。

抜け出して月参りを数件して、祝賀会。
学階得業の色紙授与。有難いことだった。

下らない酒の後、夜行バスで長野にボランティアに向かう。





17日、身に染み込んでいる音

12月17日は、お昼からお聴聞をさせてもらう。

臨終の善悪を沙汰しない、阿弥陀さまのお救いをお聞かせ頂いた。
いつまでも生きたいばかりの私、その私がいのちを終えていく日が来る。その時にさぞかし涙を流すかもしれないなあと思う。この世、この人生、失うには惜しい。まだ生きたい願うばかりであろうけれども、どの様に命終えても、そこが阿弥陀さまのお浄土である。
この私をご心配の阿弥陀さまに、まるごとおさめとられてしもうてあるのでした。なもあみだぶ。

夜は京セラドームに。悩みに悩んで、そして結局、京セラドームに向かった。ハードロックバンド、KISSのライブを観る為だ。2001年のFarewell tour以来となる。

中学生の頃より、何千回と聞いて、遺伝子に染み付いた楽曲をそれはそれは楽しませてもろた。

我が身に染みこんだ一つ一つのフレーズ、そこに身を委ねる快楽に酔いしれたのである。

X Japanのヨシキもゲスト参加してて、豪華な夜となりました。


12月9日

夜行バスで大阪に戻って、朝はとりあえず教校に少し顔を出した。

自分のペースで研究したいことはたくさんあるのだけれども、学生と一緒にお聖教を開かせて頂くのは楽しい。

小賢しいような私が、お聖教を学ばせて頂くと、講義に対して少しずつ、「その義はとられん」とか「それはどうかな」ということも出てくる。そうして、またお聖教を拝読させて頂く。それもまたいい。
つくづく仏法は一人で勉強するようなものでもないと思う。ともに勉強出来る友達があることは嬉しい。


昼からは法務、少し眠いけれども月参りは、正信偈を十二礼の節で勤める。みなさん、毎月毎月、待っておって下さって一緒にお勤めさせて頂く。有難い。

夜は京都の聞法会館でお聴聞、一昨日に引き続いてW師だ。今日は念仏奉仕団だろうか、沢山の方がお参りで、数えてみると120人以上の方がお参りしておった。
身近な言葉で、死ぬことを虚しいこととする私に、阿弥陀さまは大慈悲をもってまたあえる世界を与えて下さったことを聞かせてもらった。
聞かせてもらえば、人生終わって死んでいくのではなく、またすぐこの世に帰ってきて人々といつもともにある仏さまにならせて頂く人生を賜っておると、お念仏申した。

終了後、龍大の図書館に行ってあれこれ読みたいものをコピーした。
その姿は、まるでコピー安心だ。コピーだけして、これでいい、と安心している人たちをいう。コピーしても読まなきゃ勉強にならない、そんなことも分からん人たち、と言われないように、先人の精魂込めたる研究を心して読ませて頂く。

『大経』の翻訳についての研究、特に悲化段と、法然聖人の教団の弾圧についての研究、いまやかましく言われておる念仏者の生き方ということについてのあれこれ述べて下さっている内藤和上の令和元年安居の講義録みたいのを読んだ。

「また、獲信によって行為に変化があるのかないのかといった議論があります。ひとつは往生安堵の想い以外は変化しないというもので、阿弥陀仏のお救いはそのままのお救いであるから変わらなくてもいいとする主張です。もうひとつは前述の『御消息』にみられるように、変化があるというもので、自らの罪悪性を厭うようになるとする主張であります。『御消息』を拠り所とすると、変化があるとする主張が妥当であると思います。しかし、変化があるとする主張には問題点も潜んでいます。それは、変化の有無を獲信の物差しとしてしまわないかという点てます。変わったか変わっていないのかそればかりを気にしては、ご本願に拠るべきであるということを見失いかねないということです」

と示しておられる。

「さらに、法然聖人が示された異類の助業という考え方があります」として、『和語灯録』の「諸人伝説の詞」を引き
「結婚した方が念仏しやすいならば結婚し、独身の方が念仏しやすいならば独身でいなさいというように、念仏しやすいように毎日を生きていくべきで、ただ単に自分の命が大事だと思うのであれば自己に対する執着にしか過ぎないものが、お念仏を申す身であるからこの身を大事にするというのであれば素晴らしいことであるとのお示しがあります」

とあって、「もし念仏の助業とおもはずして身を貪求するは、三悪道の業となる。極楽往生の念仏申さんがために自身を貪求するは、往生の助業となるべき也。万事かくのごとしと」

のお言葉の意を意訳して下さってある。

そして「万事かくのごとし」とあるけれど、講義はボランティアについて「ボランティアということで考えますと、他者のための行為が快いと感じることが、実は自身の精神的肉体的健康に寄与しています。それはお念仏を喜ぶこの身を支える念仏の助業と言えるでしょう」と述べられている。

それぞれに自身を貪求することが、念仏の助業となるようなそんな生き様なり暮らしぶりもあるだろうし、とにかく、お念仏を申す、仏法を大切にしていくこと、そのままがいうなれば事の大小選ばす念仏の実践、生き方にもなるのであろうかなと読ませてもらった。

私は全く変わらない有様で、日々、欲望に振り回されているけれども、それでも、昔よりは、仏法と縁することの多い生活を送らせてもらって、そこに喜びを感じてもいるのは、私の上の事実です。それは、また、阿弥陀さまのお育てあることと味わうばかりです。
すべては阿弥陀さまのお救いの中でのことですから、まったく自分が偉くなったとか、立派になったとか、そういうことはもちろんなくて、喜び多い人生を賜っていること、とにかくも阿弥陀さま、祖師のご恩である、と思っています。

そうして、私なりの人生を生きて、やがて死にます。大して世の中の役にも立たず、人の役にも立たずにいて、それが、私の精一杯の人生なのでしょうが、命終わったところが阿弥陀さまのお浄土です。賜っておる人生を、大切に大切に、称名念仏申していきたいと思うのでありました、とさ。

なもあみだぶつ。


『和語灯録』「諸人伝説の詞」より

「又いはく、現世をすぐへき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろづをいとひすてて、これをとどむべし。
いはく、ひじりで申されずば、めをまうけて申べし。妻をまうけて申されずば、ひじりにて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。流行して申されずば、家に居て申すべし。自力の衣食にて申されずば、他人にたすけられて申べし。他人にたすけられて申されずば、自力の衣食にて申べし。一人して申されずば、同朋とともに申べし。共行して申されずは、一人籠居て申すべし。衣食住の三は、念仏の助業也。これすなはち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業也。
三途へかへるべき事をする身をだにもすてがたければ、かへりみはぐくむぞかし。まして往生程の大事をはげみて、念仏申さん身をば、いかにもいかにもはぐくみたすくべし。もし念仏の助業とおもはずして身を貪求するは、三悪道の業となる。極楽往生の念仏申さんがために、自身を貪求するは、往生の助業となるべきなり。万事かくのごとしと。」


成道会

12月8日は、釈尊がおさとりを開かれた日として、各地で成道会が勤まる。

所属寺の行事として、みんなで築地本願寺の成道会でお聴聞をし、その後、新宿で懇親会というのが年末の恒例で、私も参加した。

釈尊のおさとりの内容を表わすのに、有名な梵天勧請がある。

しばらくおさとりを楽しまれた釈尊が、このさとりの内容は深淵で人々には理解されまいとして、さとりを説く、すなわち法を説くということを、なされないまま終わろうとした。
そこに梵天さんが慌てて現れてお釈迦さまに人々に法を説くことを請い願うというような話で、梵天さんは、当時のインドの最高神みたいな位置づけの方だ。

人はみな自己を抱えて生きるしかない存在である。
自己に執着し、自分の考えに執着し、苦悩している。
目に見えるもの、確かに存在していると私が思えるものだけが真実と我らは思う。釈尊のさとられた法はこれらを妄念とする。

自己に執着するしかないような人間存在には、理解し難いこと、きっと理解出来ないこと、しかし、中には、その法を理解しおさとりに至る人もあるかもしれない。法を説くことなければその人たちも、おさとりへの道が開かれない。というようなことで、お釈迦さまは、梵天の勧めによって法を説くことを決意した。

『大無量寿経』には、「釈・梵、祈勧して転法輪を請ず。」とある。ともあれ、釈尊の成道は、我々に仏法を説き示して下さったのである。

この釈尊の決意は深い、我々のいう決意や決断とは違う、仏さまの決意は必ずそれを果たし遂げるまで変わることを許さないような、そんな決意だ。

『阿弥陀経』には「舎利弗、まさに知るべし、われ五濁悪世においてこの難事を行じて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切世間のために、この難信の法を説く。これを甚難とす」とある。

お釈迦さまは、一切世間、すなわち私の為に、難信の法を説いて下さった。

今、私が、ぼやっとなもあみだぶつ、なもあみだぶつと申している。そのなもあみだぶつは諸々の仏さまの誉め讃えて下さっている真実であるとお聞かせ頂く。

お釈迦さまの成道は、ひとえに私に、なもあみだぶつとお伝え下さいました。そんなことが、私も知らないかって12月8日から展開しておって、今、はじめてお釈迦さまを仏さまと喜ばせて頂く人生を賜りました。

お釈迦さまを目覚めた人、仏陀、如来と呼ばせて頂ける人生を、なもあみだぶつに出会って初めて私は賜ったのでありました。

成道会のご縁でした。

12月7日

12月7日は、大阪で法務をさせて頂いているお寺の常例法座の日で、法話会の一時間前に梵鐘を「ごーん」と突くのは我が役目の一つだ。

小石を10個置いて、数を確認する。
時計をみながら、間隔を開けて、かなりゆっくり目に突く。
地域に鳴り響く梵鐘の余韻の中で、刻まれた正覚大音響流十方のお言葉を味わう。慌ただしく法話会の準備をしている中で、ほっと一息つける瞬間であるのだけれども、おさとりは、どこまでも響きこの私に満ち満ちていて下さってあることを味わうのである。

梵鐘の声は何とはなく懐かしい。かっては日本中で、梵鐘の響きが時を告げ、法要を告げ、諸行無常を告げそして、おさとりの声が十方に響いて下さってあることを告げてきたのである。

今は、少しずつその風景も失われてきた。高度に密閉された家屋の中では、なかなかその音響が生活の中まで届く事も難しいかもしれない。

道を歩く人、まるで門前の小僧のようなのが、鐘を突くのを見る目は割と楽しげだ。ごく稀に写真を撮っていく人があるので、精々ごもっともでございという雰囲気で鐘を突く。
仏法は響き渡ってある。なもあみだぶつは響き渡ってある。その仏さまのおはなしが始まるよ、嬉しきかな!と鐘を突くのである。

すなわち太古の昔から、変わる事ないおさとり、その響き渡って、我らが救いの法として届いておることを梵鐘の響きによって表現してるのかなあなどと思いながら、ゴーンと突く、実にいい音だ。

12月は講師をお招きするのではなく住職の法話。住職は布教使ではない。喜怒哀楽の物語をたっぷりと織り込んだ泣いて笑ってというような法話ではないけれども、日々、読み学んで本人が共感した内容を中心にお取り次ぎ。参拝者は30人ほどで、私も一緒に座ってお聴聞をさせて頂く。

夕方に一件、月参りをさせて頂く。本日のお参り先の方はあまりお体が丈夫でない。いつもお一人でいるのだけれども、土曜日だったこともあって、中学生のお孫さんも含めて、5人でお正信偈のお勤めをさせてもらったことは嬉しいことだった。

寺に帰り、阿弥陀経をお勤めさせてもらった。本日は、深川和上の祥月であったと記憶している。

阿弥陀経の中で、深川和上のお説教を色々と思い返しお聞かせを頂いた。
お釈迦さまは浄土があるぞよ、とお示し下された。
私もいつの日かそこに参らせて頂く。
この世を苦しく生きているけれども、なんとご恩だらけだったなあと今も思う。今までの人生の中で、願ったことは多いけれども、成就し難き四十余年であったと思う、しかしながら、この世に生まれた喜びは大きい。有難い人生だなと思う。なもあみだぶつがこの私に届いて下さってある。そして、この何事も成就し難いと、悲しく過ごしているであるけれども、私の行き先はお浄土と示して下さる。この人生は何事も成就し難きどころでない、阿弥陀さまの願いが私の上に成就してあって下さる人生であったなあと、どこか満ち足りている。人生の成り行きに不安にもなるけれど、この世は念仏の道場と賜ったもの、不安の中のお勤めもなかなか有難いものだ。

さて、電車に乗って京都の聞法会館に向かう。
8日は甥っ子の誕生日、甥は釈尊成道の日に生まれたがために、妹夫妻は仏法の関心も知識もほとんどないが、蓮の字を名前に組み込まれたのであるから、よほど仏縁深いと思っている。誕生日にはお釈迦さまのお話が出来るし、甥も名前の由来であるお釈迦さまについて関心もあるようだ。

プレゼントに小学館の「少年少女日本の歴史」を桂川のイオンによって購入、私自身も欲しかったものだ。歴史の大枠を知るのに漫画はとってもいい。買ったのだけれども、全24巻を抱えてひーひー言いながら歩く。

京都の常例法座は、若き旗頭の一人、W師である。イニシャルにする必要もないが、検索してこの駄文を読む人がないことを願うのである。
余人に代え難い活動内容は、評価されて評価されすぎることはないほどで、その布教もその経験の中で磨かれて、様々に工夫されてある。十方衆生と唯除についてのお味わいを聞かせてもらった。なもあみだぶつ。

ちょっと、焼き鳥で酒を垂らしてから、夜行バスで川崎に向かう。この十年で、僧侶夜行バスコンテスト乗った回数を開けば大きく二位を突き放して優勝するだろうと思っているが、夜行バスはいつ乗っても辛い。
それでも、人生を大きく広げてくれた、安くて便利なものだ。シーズンによっては大阪から神奈川まで、なんと1800円だ。辛さに耐える価値は充分ある。
となりの人の一人言がうるさく、寝たら歯ぎしりがうるさい。
昔は、いびきのうるさい人は夜行バス遠慮すればいいのにと思っていた私も、今やどうやら、「お前がうるさい」というほどにはいびきをかく身になっているらしい。

バスがいびきの人お断りと言っていたのなら、今の私はまったくなかった。なんと、私は酷いことを言っていたのかと思いながら、「歯ぎしりのうるさい人は遠慮してほしい」とバスでイライラしておる。まあ、成長はなかなかしない。自分がその身になるまで、は人を見下して生きていくのである。

なもあみだぶつ。
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