世の中をみると、ハロウィンで仮装ということがいつのまにか多く行われる様になった。それはそれで微笑ましくもある。
かっては、フリーズを、プリーズと聞き間違えた日本人留学生射殺事件などの痛ましい事件もあった。
時は移って2018年、やれ渋谷で暴徒化したなどと騒がしい。もう少し大人しく仮装でもして、それなりに楽しめばいいのにと思うのだけれども。
あれでは、普段の生活をハメ外しただけではないか。ニーチェの原書を携え、難しい理屈をブツブツ言いながら歩く、などの普段と違う自分で行けば良いのにと思うが、イベントあれば羽目を外して話題になるのが典型的な若者の姿である。
人は、人生を幾重にも仮装して生きている。そうでなければ生きていけない、それが娑婆でもある。
また、人が本来のありのままの姿で過ごせば、大方ろくなものでない。トラブル続きで、自ら損ない、人を損ねる愚かさを持っているのが私である。
そんな中で、本当の私を知ってもらいたい、全てをさらけ出しても、受け入れてくれるような、そのような存在を求めている。そうして苦しみもし、喜びもしながら、なんとか人生を綱渡りしている。
阿弥陀さまの前で、仮装はいらない。一人居る時は、ただ心のままにお念仏を申して、たった一方、知っておるぞ、落としはせぬぞという存在に包まれて、泣くもよし、怒るもよしで、阿弥陀さまのお慈悲を味わうでした。
生きる為とはいいながら、なんと頑なな、仮装した自分であるなあと、聞かせてもらうばかりであります。
そうして、どこまでいっても仮装した自分であるなあ、とりつくろってあるなあと思うばかり。
本当の自分は何処にあって、どんな姿かね。
自分の存在、その意味も分からないほどの私があるのだろうと仏さまから聞かせてもらうばかりであります。
やがて、私は、私という存在に固執するという仮装を脱ぎ捨てさせられて、真に真なる存在として、お浄土に生まれます。
なもあみだぶつ。なもあみだぶつ。
日本留学生射殺事件
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