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19日のこと

19日は大切な友人と宮城県、石巻市の道の駅「上品の郷」で待ち合わせ。



ここは、温泉施設もあって、これがなかなかのいい湯でして、訪れた人の満足度の高い道の駅としても有名であります。

震災の年、東北入りして最初の拠点となった懐かしい場所でもあります。

ここで友人と話すこと1時間半くらい。
近況と、ほとけさまのお話しとか。
チャーハンと漬け物を持ってきて下さった。おいしく頂きました。



分かっていたことではあるけれど、あと2年ほど仮設住まいを余儀なくされるとのことでした。
報道について明るく元気に復興進んでます、ということを伝えるべきだとの意見もあってごもっともでございと思うのでありますが、多くの方がまだ仮設暮らしということも私には思うところもおおい。

さて、この道の駅は、近くの上品山からその名をとる。この山は、低山なれど景色よく、上まで車でいける。遠くからでも、山頂のレーダーが特徴的によく見える。

この上品山の名は、上品往生に由来するそうであります。
私は今までも上品往生というように求めてきたこともあったのでありましょう。
そして、仏道を歩む高度な人格を完成しようと張り切ったこともあったのであろう。それがどうにも叶わなかったという歴史がある。ここに今、私がいて、どうにも上品往生という気配はない。

親鸞さまは、「正信偈」に、

極重の悪人は唯仏を称すべし。
我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。

と仰って下さっておられました。
なもあみだぶ。
私はまったくほとけさまを忘れての日暮しであります。その私を忘れて下さらないのがほとけさまであります。
時に私の口から「忘れん親がおるぞよ」と、なもあみだぶが溢れます。

そういえばビッグコミックオリジナルに連載中の「月をさすゆび」なんぞをたまたま立ち読みしていたら、なにやら答辞の場面で、なんでも何十年振りなのにお勤めが出来た、その理由は「お念仏のほうが私のことを覚えていて下さったからです。」とありました。



人はいつだってほとけさまどころではないと生きている。
生きることに必死の有り様がありました。とてもほとけさまに手を合わせる余裕もない。
そんな私を、いつだって忘れず、浄土に必ず生まれさせると仰ってくださるのが阿弥陀さまでありました。
その阿弥陀さまが、私をして合掌させます。口からなもあみだぶとお念仏を申させます。
そのなもあみだぶは、私にお浄土を告げてくださいます。阿弥陀さまの願いを告げて下さいます。
そうして忘れがちなれど、忘れておけんと心して思い出しては励まずにはおられんのが、なもあみだぶを申すことでした。

この度は、多くの方々と会うことが出来ました。有難く嬉しいことでした。

そして、夜もラーメン屋でチャーハンセットを食べたのでありました。
友人の作ってくれたものは本当においしかったのだと思い知らされました。


なもあみだぶ。




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17日の日記

いつも私的とはいえ、このたびはごくごく私的に綴ります。

17日は、陛下がご巡幸なされる、ということで女川に向かってみます。



途中、松島基地のブルーインパルスの訓練を眺めます。
2012年は基地の近くに住まいを借りていました。
13年3月、ちょうど町を去る頃、ブルーインパルスが基地に帰ってきてきました。
町の上空を縦横に飛ぶ訓練を見て、心底驚いた。ああ、これがこの町の風景だったのだな、と思ったものでした。





ということで、ご巡幸です。
ところで小さな町ですので、知人と色々会えたのも嬉しいことでした。
是非、会いたい人がいて、訪ねようかとか迷っていたのですが、ひょんなところでお会い出来て、本当に嬉しく思いました。



陛下が訪れて下さったことは、何はともあれ、みなさまの励みと楽しい一時ともなったようでした。陛下にとってもこの町を訪れるのは念願であったと聞きました。
人はみな、それぞれの立場で生きています。それぞれの役割を生きています。
お疲れもありましょうに、いつもテレビで見ていたあの笑顔で手を振られるのでありました。



町を少し走って、海を眺めます。

私の生きるこの世界を懐かしく思うのでありました。
私の去り難き郷里です。
ここで、花が咲いたといっては喜び、春よ来いと泣き、そうして日々を模索するように生きている私があります。




最初はなんだこれ、と思っていた町のキャラクター、シーパルちゃんも、今は可愛いと思うようになりました。カモメではなく、うみねこなのであります。かってはよくカツオを抱いていました。時に津波を殴ったりもしていました。今は一人歩きするようにみんなに愛されて色々な姿で描かれます。

なもあみだぶ。





ご命日

今日は仙台別院で御命日法話ということで、お参りさせてもらいました。
この別院さまでは毎月10日に常例法座、16日が御命日法座となっています。



ご講師は西光義秀先生で、結局4日間聞かせてもらいました。

家の宗教、個人の宗教というところから聞かせて頂きました。



仙台に安居に出ておられる助教のTさんという方がおられるのは知っていましたが、今日は少しお話するご縁を頂きました。東北で今は一人だけだそうです。お寺の出身ではないそうですが、これからともにお聖教を読みたいと思ったのであります。月に一回、梯和上の聖典セミナーを読むみたいな感じで歎異抄の勉強会を始められたそうであります。



ご本願は十方衆生とお誓いであります。それは、私をもらさぬお慈悲の誓いでありました。虚しく過ぎてきた汝がお目あてとの仰せであります。

さて、東北の常例布教の日程を確認致しました。なるほどなーと思うのでありました。
大阪はなんだかんだで、ご法縁は多かったし、個性的なまでの先生方も沢山おられた。それに較べるとご法縁の数はどうしても少ないね。しかし、一座一座が大切なのであります。
今日もこうして、その一座を大切にお参りされて、おみのりを聞き、お念仏申されてる方々がいる。お同行さま方に、いつも育てられる心地であります。

今日は宗祖の月命日であります。せめて、今日は宗祖のご恩徳を思いたいものであります。
外で過ごしてますので、申し訳ないことですが、精進ということは困難です。出汁が難しいところです。
精進は家でも難しい。まして、外では本当にしんどい。そのしんどさの度にに宗祖のご恩を思えればよいのですが。
如何に日々無反省に命を喰らっているかと思います。
あまり、ご命日の精進については関心もなかったのですが、尊敬する方々が実はそうしておったことを知り、させて貰いたいと思うようになりました。
また蓮如上人のご指南でありますれば、たしなみとしない訳にはまいりますまい。
ところが一日たりとも、なかなかにそれをしきれん私というものあります。
なもあみだぶ。

今宵は、阿弥陀経をあげて、お聖教を開いて「不来迎義」について窺います。



別院から、久堀弘義先生の「春夏秋冬」をお借りしてきました。

よく行っていた龍大図書館の大宮にはなくて、深草の方に蔵書されておりましたので、読む機会なく過ごしました。
久堀先生のお書きものは好きですので、これも早速読もうと思います。

なもあみだぶ。













お聴聞と温泉

14日は、福島県の青柳寺さまにお参り。
友人と参らせて頂きました。



福島のフルーツライン沿い、吾妻連峰の麓。ここでお聴聞することは一期一会という気がします。いや、法縁は常に一期一会というべきかもしれません。
その一度の法縁に遇わせて頂くことが、驚くべきことでありました。



20人少し程の方がありましたでしょうか。ご一緒に阿弥陀さまのお話を聞かせてもらいました。

最後に大谷派の安田理深師の「本当のことが分からないと、本当でないものを本当にする」という言葉を通して聞かせてもらいました。

梯和上にもよく「自分に騙されてきた」と私の歴史を聞かせて下さったことを思い出しました。

生老病死というのが私の有り様であります。私はこのまことなき有り様をまことの依りどころとしようとして難儀しています。
阿弥陀さまは、その私に「我にまかせよ」との仰せです。



飯坂温泉に立ち寄ります。
ここは訪れたことがありませんでした。
飯坂温泉駅前には芭蕉像があります。
東北では、時々に芭蕉と会います。
ここには、九つの共同浴場があります。芭蕉も入ったという最古の鯖古湯に入りたかったのですが、休みで、波来湯に入りました。300円です。駅近です。観光客よりも地元の方が多く入浴されていました。1200年以上の歴史があるというのであるからすごい。

湯は二つに分かれてて、源泉掛け流しの熱い湯と、適温に加水したものの二つ。
源泉の方はとにかく熱い!常人は入っていられない程ですが、涼しい顔して入っている人もあって、驚きます。
しかし、私もこの程度の熱い湯は何度も入ったきた男であります。
頑張って入りました。数秒しかもちません。冬は肌が弱いのか痛いほどです。風情のある湯とかではありませんが、ぽかぽかです。小雨が降って寒い日でしたが、ぽかぽかです。



福島は温泉が豊富で、土湯温泉、岳温泉(安達太良山小屋のくろがね温泉)や、高湯温泉とか、その他も色々入る機会もあった。温泉はいいものだ。日本人は本当に温泉が好きだ。どこにいっても、温泉があって、温泉文化がある。
日本で旅行と行ったら温泉に行くことが中心なんだろうという感じ。
私は温泉旅館に泊まることはほとんどなくて、立ち寄り湯に入って車で寝るなどが多いのですが、「源泉掛け流し宣言」の高湯温泉なんて大したものです。少し旅館に泊まってみたかった時もありました。
映画「フラガール」になったスパリゾートハワイアンなんかも面白そうだ。

と書いていて、ネットを見で何度か立ち寄った高湯温泉の「あったか湯」が今月の1日に火災にあっていたことを知ったのでありました。お見舞い申し上げます。

法を聞いて温泉に入る。温泉に入っては法を聞く。このようなお楽しみ方も真宗にはありますね。

温泉に入れば温もります。
「とにかくお慈悲の力はぬくいでなあ」といったのは源佐さんでした。


なもあみだぶ。

ありがとうございました。

海近くのお寺

今日は仙台港近くの専能寺さまにお参りです。



立派なお寺ですが、津波の浸水地域で、赤丸で囲んだあの高さまで水が来たそうです。




よく再建して下さいました。
ご住職さま方、またご門徒のみなさまのおかげによって、今日のご法縁にあわせて頂きました。
なもあみだぶ、と念仏申すほかにありません。
被災地と言われる場所でした。色々あるのであります。
なもあみだぶ。

ご住職さま、坊守さま、お同行さま方に、なんとも言えないあたたかさを感じました。お出会いに感謝です。




お参りの方も多くて、少し驚きました。60人以上おられそうです。
「重ねて誓うらくは名声十方に超えん」と親鸞さまは喜ばれました。
なんまんだぶは声となって、届かぬところなく響いて下さっております。


嬉しい再会もありました。16日に別院で会えるかなと期待していましたが、宮城の有難い念仏者であるHさんと久しぶりにお会い出来て、大変嬉しいことでした。

さて、ご講師は、昨日に引き続いて、奈良のS先生です。
90分間のお話でした。
最後にはこのようなお話を聞きました。

ある小さなお寺の老住職、戦前の日曜学校。
子どもを集めても、今みたいにゲームしたり、唄を歌ったり楽しいことはしない。
子どもと正信偈をあげて、話をする。

「たとえ天地がひっくり返っても、阿弥陀さまのお慈悲には間違いがありません。」
「たとえ天地がひっくり返っても、阿弥陀さまのお慈悲には間違いがありません。」


3回、5回この話をして終わる。

一ヶ月たったら、また日曜学校する。

「たとえ天地がひっくり返っても、阿弥陀さまのお慈悲には間違いがありません。」

また1ヶ月たったら日曜学校がある。

「たとえ天地がひっくり返っても、阿弥陀さまのお慈悲には間違いがありません。」

と話が終わる。

子どもはその話が終わったら、境内で遊ぶのが楽しみで来る。

でも、住職の話はいつも変わらない。
子どもはやがて覚える。

またあの話か「たとえ天地がひっくり返っても、阿弥陀さまのお慈悲には間違いがありません。」のあの話か。

子どもはすっかり覚える。
それでも住職は、
「たとえ天地がひっくり返っても、阿弥陀さまのお慈悲には間違いがありません。」
と法話は終わるのでありました。

戦争は終わり、子ども達は大きくなって村を出る、結婚していく、住職も亡くなっていった。

その住職の子がお寺を継いで30年40年たって、「日曜学校の同窓会をしよう」といった。

集まって正信偈をあげて、みんなでお茶をしながら、久しぶりだな、みんな、どんな生活してた、一人ずつ思い出でもなんでも話してくれないかという。
ある一人の人が話始める。
絶対本堂に上がらない子だった。
いつも、影に隠れて中の様子を見ているだけ、絶対に本堂に上がってこない子だった。ただ境内で遊びたかっただけで日曜学校に来てた。
その子がいった。人生いろんなことがあった。苦しいこと、悲しいこといっぱいあった。
でも、後ろで聞いてた、先住職の話を私は思い出す。

「たとえ天地がひっくり返っても、阿弥陀さまのお慈悲には間違いがありません。」

ほんまやなあ、と思って、人生に何がまことがあるかって。
他の女の子がいう。村に帰ったら、親も兄弟もいない。同窓会で懐かしくて帰ってきた。

「たとえ天地がひっくり返っても、阿弥陀さまのお慈悲には間違いがありません。」

その言葉しか私の心には残っていません。とその子は言うのでした。


ということを最後にお聴聞させてもらいました。
「天地がひっくり返る」ことは私達の人生にあることであります。それを、すでに身にしみて生きる私達があります。
空には太陽があって雲もあって、雨も降らして、私に恵みを与え、大地はいつだて私を支えているものであります。私を存在せしめるものです。そう信じて生きています。そして、その大地にさえ裏切られていくが如きなのが私達の有様でありました。
天地はひっくり返るのでありました。
阿弥陀さまだけが、間違わさぬぞの仰せでありました。
故に私は、その名を称えて生きていくのであります。
悲しいこと時もある、苦し時もある、裏切られる時も裏切る時もある。何一つまことに依るべきところを持たない私に、間違わさない依りどころとなるぞよ、と告げて下さるのでありました。


なもあみだぶ。

お寺参り

今日は、仙台のお寺の常例にお参りさせて頂きました。



突然の参詣でしたが、ご住職さまやお同行の皆さま方の温かいお心を頂きました。

ご講師は奈良の先生で、ご著書など読ませてもらったことはありますが、お聴聞させて頂くのは初めてでした。
これから何座がお参りさせてもらう予定であります。

おとといまでいた大阪はご法話のご縁の多いところでありますが、はるか千キロ離れた宮城でも、同じように仏さまにお参りして、お聴聞して、お念仏申されている方々がおられるのでありました。

ご住職のお孫さんと少しのあいだ一緒に遊んだりしました。誕生日ということで、ケーキもご馳走になりました。来年も来て下さいと可愛いものです。

はじめて訪れる時は、少しの緊張もありますが、お寺参り、お聴聞はお楽しみでもあります。

なもあみだぶ。


始まり

10日は、3年間の学びをとりあえず一つの区切りとなりました。
一つの終わりは一つの始まりでもあります。


11日は、震災の5年目。2年間過ごした東北、宮城に向かうのでありました。

2011年、そこに寄り添うように生きる人々がありました。

その一人一人は如来の子であります。
大悲がくまなく一人一人に届いてある。それはやがて聞かれるべき教えとしてあります。
如来さまの御心はいつでもどこでも響いて、聞かせようぞのお誓いです。
如来さまのお誓いは、いつでも、どこでも、どのような人にも行き渡らないところはないのでありますから、すべての人はやがてお誓いの如く、本願に遇って念仏申して浄土に生まれ仏となっていく。その萌しのある人々であります。ご本願によって、仏になっていく人々です。

みほとけの誓いのひびきたかければ、およばぬ隈は世になかりけり。

というのでありました。
私は震災の後、多くのことを見聞きもし、また出会もし、また活動していく中で多くのお育てを受けました。
心動かされることが多かった。忘れ得ぬのであります。




東北は浄土真宗が少ないと言われる。
しかし、寺院数が少ないだけであって、浄土真宗は、いつ、どこにも満ち満ちて汝を救わんとはたらいている。
春は目に見えないが、春は満ち満ちている。私がお念仏申している。春の真っ只中であります。
11日も震災5年目、学生生活を終えて、懐かしい宮城で始まりました。
もとより、東北の人々とともにお念仏申したくて、3年間、真宗の学問をしました。心は置きっぱなしでした。
(町は新しくもなって、ゆっくりと過ごしたいような、いい雰囲気。綺麗で美しい町で、たしかに魅力的だ。人は集い談笑し、食べものもおいしい。)



その私を、応援して下さる方もある。社交辞令のようなものであったとしても、そこが、ご縁であります。たしかに、絆としての縁が結ばれている気がします。その小さな小さな消えそうに繋がるご縁によって、また会う時は会うのであります。
私からすれば、5年の片思いです。町を人々を一日も忘れることができなかった。育てられた恩もあります。

戻って、浄土真宗の学問をしてきました、と報告させてもらうことは、それはそれは嬉しいことでした。真宗寺院一つもない、そんな小さな町で浄土真宗の話題が、一言二言、ふっと成されたこと。有難いことでした。

親となる人もある。町を離れていく人もある。そこで生きている人もある。
私はお念仏申します。なもあみだぶ。
言葉には出来ないことです。
なもあみだぶ、と申すばかりです。





本山にお参り

夜行バスで京都に帰ってから、本願寺さまにお参り。お西です。



色々、求めたいものもありました。
持ち帰りたい資料もありました。

学生生活の終わりを、阿弥陀さま、ご開山聖人さまにご報告致します。正面から写真を撮らせて頂くことは勿体なく思いますが、お許し下さい。



なもあみだぶつ。なもあみだぶ。



聞法会館に寄ります。ここでは、毎日仏さまのお話がなされます。
少し買い物をして、今日は、このまま帰ります。


聞法会館、地階の八尾亭でご飯、かつ丼、みそ汁つけて820円。頂きます。




法衣店の丸西さんで輪袈裟を求めました。
黄色い輪袈裟しかなかったので、今後の為に求めました。

京都近くに暮らさせて頂いて、事毎にお参りさせて貰えて有難いことでした。神奈川でも少し電車に乗れば築地本願寺さまがあります。
なんだかんだで、お寺さんにいると落ち着く心持ちを育ててもらいました。

お寺さんは、仏さまを中心とした空間であります。
私を後にして、阿弥陀さまにお礼を申します。

なもあみだぶ。





行きかふ年




「月日は百代の過客として、行きかふ年もまた旅人なり。」
と「奥のほそ道」に芭蕉は言った。
その芭蕉がまず目指したのは、松島の月であった。

松島湾の島々が美しく霧に浮かびあがった。
今日は、上着のいらない暖かさで、多くの人が上着を荷物としていて、海面には霧が出てはいたが、霧の晴れるを待って姿を覗かせる島々の美しさは心を魅了するものがあった。

奥のほそ道の冒頭は、多くの人の愛するところであるが、李白を本歌取り的につかい、月日を旅人に譬えながら後段では具体的実際的な旅について述べられるのが面白いところで、結局は芭蕉は旅に出たかったのである。
芭蕉は一処に留まらざる者である。
「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」
というのが俳聖松尾芭蕉であった。
旅に人生そのものを思い馳せたのであろうかと思う。

時は行きかうのである。年月は過ぎるのである。良いことも悪いことも過ぎていく。
月日は旅人のように過ぎ、また、その月日に糊口をしのぎ生きる我らも、旅人である。
旅は孤独なものだ。
同じく、一生とは孤独なものであってその時々は帰らないものであって、ちょうど人生は旅に譬えられる。

日々は帰らないのである。
いつもその時が大切である。

しかし、時はいつもどうやら虚しくも過ぎ、楽しいこともまた過ぎるのでありました。
人は10年前の悩みで悩めず、10年前を喜べず、あれほどに人生を支配ような感情も良くも悪くも残らない、過ぎてしまうであります。
あてにならないのであります。
過去の気持ちもあてにならないが、まして、未来のことをどのように思いとれるかなんてことは分からないのであります。

今のその時その時が大切であります。
しかし、その今も心許ないのであります。
途方に暮れました。行き先は分かりませんでした。今が分かりませんでした。それは、人生も、後生と言われる一大事の大問題も分からぬことでした。
私の人生の旅の行き先が分かりませんでした。

私の生きる、その時その時をいつも大切に思って下さった方が如来さまでありました。
いつもこの時、この時に「我能く汝を護らん」と仰って下さいます。
今、その時であります。
この今が大切な今でした。

如来さまの「我、汝を護るぞよ」との仰せこそが、私の生きる今でした。

如来さまの大きなお慈悲に支えられている今です。

なもあみだぶ。



愛の町

大阪から500キロ、故郷の神奈川に車で帰った。

昔はなんてことなかったけれども、最近は運転は疲れる。
車もいつ壊れてもおかしくない。
安く買ったとはいえ、メーターが10万キロ戻されていることが発覚したのであった。車検証の前回検査時の距離の10万の桁がうまく削ってあるという。確かにその通りだった。どうりで調子悪いと思ったものである。
おそらく現在20万キロを超えているであろう。
「今日も頼むぜ、相棒」と声をかけないと調子も悪い。
「今日はモビーのご機嫌はどうかな?」と呟いてから、エンジンをかけるのである。まあ、しかし、調子は概ね良好と言っていいであろう。高速走行時はもーもーうるさいのであるが。

ガソリンが少し安くなってきたことをせめてもの慰めとして、兎に角も神奈川に帰った。

一夜明けて、所用で街に出る。
コインランドリーで洗濯である。
ゴミ収集車が懐かしい音楽を奏でる。

https://m.youtube.com/watch?v=rjyHowSvqPc

「好きです 川崎 愛の町」
(どうやるんだろ?(−_−#)川崎 愛の町でYouTubeを見てみて下さい)

いい曲で、我が生涯が世界名作劇場でアニメ化されるならば、主題歌はこれと思うほどである。それは見果てぬ夢であるが、この曲を聴くと懐かしい気持ちがする。今度、この曲をバックにこの数年の写真でもスライドショーで見てみようと思う。この数年に別の意味が見出せるやもしれぬ。

川崎市に縁ある人は、みんなこの曲が好きであって、懐かしいのであります。
この曲を聴くと、荒野の如き川崎が、まるで本当に愛に溢れた町であるかのように思えます。

昨夜、母親がすねいる社から注文したのか、広大無辺という曲を聴きもし、歌っておった。
祖母がよく歌っていたもので、最近、仏さまとのご縁も多いので懐かしい気持ちで注文したのであろう。

広大無辺のみ教えに
永い迷いの夜が明けて
静かにあわすこの両手
にじみいでくる称名は

というのであるから、結構なことだ。

この私、という存在はどうやら永いこと迷いの夜という状況にありました。その夜が明けて、静かに静かに暁になりました。
広く、大きく、行き渡らないところはない、そのようなお慈悲によって明けたのでありました。

このような歌とか、お勤めとか、なんまんだぶとか、そうやって、親から子へと、ご法義が懐かしく時をみて思い出されて仏縁を結んでいくのでありますね。
私も、歌おうと思うのであります。


さて、外は雨が降っている。
今日の天気は雨、雨が降っていることは疑いようのないことであって、それを知っているのは私である。
私がいま、ここに降っている雨を眺め、また濡れもしている。それは、私の上にあることである。
それを為さしめておるのは雨である。

仏法は雨に喩えられる。『大経』には

法雨を澍ぎ、法施を演ぶ。常に法音をもって、もろもろの世間に覚らしむ。

とあって、私の上には「なんまんだぶ」がそのはたらきとして私に降りそそいでいて下さる。
それは、明日も知らず、昨日も知らず、今日も、今も知らない、生まれることの意味も、生きることの意味も、死ぬことの意味も分から私に、浄土に生まれさせるの願いを告げて下さるのでありました。

今日も私に法の雨が澍いでおって下さっています。なんまんだぶと澍いで下さっていて、それは、いつ、どのような場所にも澍いで下さっているのでありました。
今、ここ、私、なんまんだぶ。

なもあみだぶ。(^人^)










おいしいチョコレート

やらなきゃならないことが山盛りなはずなのに、何も出来てない。
家入レオさんの「チョコレート」という曲が好きなので聞いておったら、お腹も空いて仕方ないのでちょっとチョコレートを食べました。
頂きものでとっておきのものでした。



治療中の歯が少し痛むのも忘れて、おいしい!と叫びました。
一つ二つととまりません。
「おいしい。おいしい。」

思えばこのチョコレートを作って下さった方がありました。
「おいしいチョコレートを食べてもらおう!」と心を込めました。

やがて、お店に並びました。

それを私に食べさせたいと思った人がありました。

そして私の口に入りました。

願いとチョコレートが一つになって、私に「おいしい」と声をあげさせたのでした。
おいしいと声をあげたところには、おいしいという味わいとこれを下さった方への感謝があります。
心が暖かくなっております。

チョコレートと思いが一つになって、私に届いて、おいしいと声に出ました。

「なんまんだぶ」と仏さまの願いは私に届きます。なんまんだぶと申すところに仏さまの願いが届いているすがたでありました。口にはなんまんだぶと称えさせ、落としはせぬぞの願いでした。




なもあみだぶ、ひそかにおもんみれば

久しぶりという方も、誰だという方もあるでしょうが、事情あって少し停滞してましたが、新たにブログを再開することにしました。


これまでのことはこれまでであります。
これからのことがいつも今、ここから始まります。

なもあみだぶ、なもあみだぶと生きていくことには変わりはありませんが、人としての状況は常に変わっていきます。

その風景を楽しみながら、悲しみながら、よろこびながらの船旅ということになりました。

その風景を「なもあみだぶ」と味わい、その船旅もやはり「なもあみだぶ」といいました。

私はその船旅、風景を如何なる時も精一杯に味わわせてもろうて、この一生としたいと思います。

少し決意めいたものでもあります。
難しい言葉で報恩、身を粉にしても喜び申すのであります。

それをよろこぶ時に、ああだこうだということもいいますが、ひとつの「なもあみだぶ」におさまります。

その味わいつくせない、なもあみだぶ、を少しでも味わっていこうとします。
如来さまの仰せを賜っていくことです。
如来さまの仰せを「なもあみだぶ」といいます。
よりどころなき私たち、人にも自分にも、磐石と思われた大地にさえ裏切れてきた私たちです。人生にひとつもよるべきものはないと泣いていました。
その私たちの、まことのよりどころになるぞよとの仰せでした。

そのまことのよりどころを「なもあみだぶ」と仰って下さっておったのでした。
泣いているのを知っとるぞよ、と涙を流されたのでした。
二度と捨てぬとのお心でありました。
二度と死んだ方がましだと言わせないぞと抱きしめて下さったのでした。

如来さまの尊さを我が口に出して讃嘆しようとします。ほめたたえようとします。それまた「なもあみだぶ」の一声におさまっていきます。

難しい学問の真似事みないなことをして如来さまを喜んで下さった親鸞さまのお心持ちを窺ってみようとしたりします。

こうであろうか、こうではなかろうか、なんとも細やかなご教示と喜び、間違っておったと冷や汗をかきます。
それはこの上ない喜びとしてあります。

時に人にもお話してみようかと試みたりします。だいたいが上手くはいきません。

しかし、人は如来さまに育てられていきます。

私の、この口から、お念仏を称えさせずにおれないというほどのお慈悲でした。
仏さまはあきらめない方であります。

お手数をかけ通してきました。しかし、少しの見返りも求めず、私を友と呼んで下さいました。「ともに行こう」と渋る私を背負ってまで下さいました。
なもあみだぶ。
私は如来さまに背負われて、心安らかに、やがて阿弥陀如来さまを親さまと呼んでいました。
そのすがたを「なもあみだぶ」といいました。

ご一緒出来る方が、もし人生で一人でもあれば有難い。大勢いれば、私もその中の一人、有難い。

なもあみだぶを申す中には、数限りのない方々がいつもともにあって下さいます。先にこの世を終えられた方も、今に泣く人も。よろこぶ人も。仏さまや、菩薩方といった方々も、親鸞さまも。なもあみだぶの中でともにあります。

やがて、敵だった人も、別れた人も、なもあみだぶ、なもあみだぶと申して出逢います。いつの日か出逢います。
再会していきます。

私たちは、その「なもあみだぶ」を聞き、口に申して、この一生を過ごします。やがて、命終わる時には、その船旅は私をやはり一つの「なもあみだぶ」に仕立てます。仏さまといいます。
往生といいます。彼の岸につくといいます。全く新しい命のあり方がついに始まるときです。

その上は未だ「なもあみだぶ」を申さずに死に、また生まれ、生きている人たち、その口元に飛び込んで、やはり「なもあみだぶ」となるそうです。
そうして、皆、同じく「なもあみだぶ」と申して、仏になっていきます。


生まれては、少しく耐えて、虚しく悲しく死んでいく。
そうではないのでありました。 なもあみだぶ、でありました。
悲しく生きて死んでいくありさまのまっただ中に、その「なもあみだぶ」が私と、出遇うて下さる。
かたじけなくも仏さまの決めて下さった私の人生でありました。

それを、多くの人とよろこびたいので、ブログ再会します。
つまりあなたと喜びたいのであります。
仏さまの、不思議の話を喜びたいのであります。


なもあみだぶ、なもあみだぶ。
南無阿弥陀仏。

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