
ここは、温泉施設もあって、これがなかなかのいい湯でして、訪れた人の満足度の高い道の駅としても有名であります。
震災の年、東北入りして最初の拠点となった懐かしい場所でもあります。
ここで友人と話すこと1時間半くらい。
近況と、ほとけさまのお話しとか。
チャーハンと漬け物を持ってきて下さった。おいしく頂きました。

分かっていたことではあるけれど、あと2年ほど仮設住まいを余儀なくされるとのことでした。
報道について明るく元気に復興進んでます、ということを伝えるべきだとの意見もあってごもっともでございと思うのでありますが、多くの方がまだ仮設暮らしということも私には思うところもおおい。
さて、この道の駅は、近くの上品山からその名をとる。この山は、低山なれど景色よく、上まで車でいける。遠くからでも、山頂のレーダーが特徴的によく見える。
この上品山の名は、上品往生に由来するそうであります。
私は今までも上品往生というように求めてきたこともあったのでありましょう。
そして、仏道を歩む高度な人格を完成しようと張り切ったこともあったのであろう。それがどうにも叶わなかったという歴史がある。ここに今、私がいて、どうにも上品往生という気配はない。
親鸞さまは、「正信偈」に、
極重の悪人は唯仏を称すべし。
我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。
と仰って下さっておられました。
なもあみだぶ。
私はまったくほとけさまを忘れての日暮しであります。その私を忘れて下さらないのがほとけさまであります。
時に私の口から「忘れん親がおるぞよ」と、なもあみだぶが溢れます。
そういえばビッグコミックオリジナルに連載中の「月をさすゆび」なんぞをたまたま立ち読みしていたら、なにやら答辞の場面で、なんでも何十年振りなのにお勤めが出来た、その理由は「お念仏のほうが私のことを覚えていて下さったからです。」とありました。

人はいつだってほとけさまどころではないと生きている。
生きることに必死の有り様がありました。とてもほとけさまに手を合わせる余裕もない。
そんな私を、いつだって忘れず、浄土に必ず生まれさせると仰ってくださるのが阿弥陀さまでありました。
その阿弥陀さまが、私をして合掌させます。口からなもあみだぶとお念仏を申させます。
そのなもあみだぶは、私にお浄土を告げてくださいます。阿弥陀さまの願いを告げて下さいます。
そうして忘れがちなれど、忘れておけんと心して思い出しては励まずにはおられんのが、なもあみだぶを申すことでした。
この度は、多くの方々と会うことが出来ました。有難く嬉しいことでした。
そして、夜もラーメン屋でチャーハンセットを食べたのでありました。
友人の作ってくれたものは本当においしかったのだと思い知らされました。
なもあみだぶ。
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