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山陰1(有福温泉)

島根に有福温泉がある。有名である。
なにがといえば、我らにとっては善太郎さんが有名である。
石見、山陰はいわゆる妙好人の一大産地というべき場所である。阿弥陀如来の本願を聞き、お念仏してお浄土に参る人は、白蓮華の如く希有なのであって、『観経』には人中の分陀利華と仏に誉められ、善導大師は五種の嘉誉をもってその意を明らかにされている。希有なのに一大産地とは何事かと思うかもしれないが、それは科学のものの考え方である。何千何万何億無量の往生人あっても、希有なのである。それがご法義の言い方である。
さて善導大師のお書物には「もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。」とあるのであるから、本来は念仏する人を誉めていうのであって、特にその人の他の行為をもって与えられる嘉誉というのではなく、人里離れたおばあちゃんであろうが、無学な者であろうが兎に角も阿弥陀さまによって念仏する人は、これほどに仏さまのおこころにかない、仏さまによろこばれる人である、というようなことでこの誉めて下さる。どのようなつまらない私であっても、お念仏申させてこの一生を過ごさせる、それがまことに希有であるぞよ、と誉めて下さるのである。お恥ずかしい次第、もったいのうござると言ってみたくもなる。

思えば多種多様な価値観の溢れる現代の中にあって、なんという不思議か、まいるべきはお浄土、たのむべきは弥陀如来と育まれたのである。興正派風にいえば、「やっぱり、阿弥陀さん」である。遠く宿縁をよろこぶばかり。なもあみだぶ。
称える私に手柄なく、念仏は、阿弥陀如来選択の行業であるからであって、釈迦諸仏はそれを説くことをもって出世の大事とされた。それが今、現前としてある、これが有難いことというべきである。
さてさて、石見に仰誓師という僧侶が出て、念仏をよろこんでる人を調べまとめた。それは妙好人伝と名づけられて出版され、今でいうベストセラーとなった。そこから、特に浄土真宗の篤信者というおうか、法を顕わすに奇特な言動あって人にもよい影響を与えた如きの人を特に妙好人といい習わすようにもなった。それはそれで味わい深いところも多くあってその噂話しが我らの楽しみの一つともなっている。なもあみだぶ。ただし、これらの方を信心のモデルケースのように考え、これらの如くと思い悩むと害毒にすらなりうる。これは稲城和上がご本などで指摘して下さってる。精々、茶を飲みながらほうほうと楽しむのがよいだろう。その中で反省もあり喜びもあり、坊さんならお説教の種もあるのだろうかと思う。それは楽しいもので、今なら梯和上の『妙好人のことば』あたりを読むと味わい深く楽しめる。
そうした妙好人と皆に喜ばれた人物の一人に善太郎さんがいる。
言葉は一つをあらわすと、他をあらわせない。書物は一人を取り上げれば他の人は後回しになる。
ふとみれば、無名の数多くの妙好人というべき人がいてご法義を相続して下さった。私の周りにも妙好人はたくさんいるのである。いずこの里、いずこの地、どの時代でも、そういう方々がご法義を相続して下さった。すごい坊さんだけでない。たくさんのお同行の方々にかけて、法を楽しむ。その話しである。

さて、島根は江津市の山あいにひっそりとした温泉場がある。そこが有福温泉である。昔ながらの少し佗しいような温泉街で、温泉好きなら心躍るらずにおれない場所である。そして、名高い善太郎ゆかりの地であるからには、一人で訪れてなんら寂しいこともない。善太郎さんとご法義を語りあい湯に浸かる、という心持ちである。なもあみだぶ。
実は19歳の頃に訪れたことがあった。今から二十年ほど前としておこう。
ずっと気になっていたことがあった。
それが、「ありがたしゃもじ」の記憶である。
なにかありがたいことを書いてくれといったら、阿弥陀さまはこのしゃもじのようにすべての人を救う」というので、大きなしゃもじが街の階段の下に飾られていた、という記憶である。
その時に、腰がくだけて、「あまりたいしたこと言わないのね」と呆れた覚えがある。
今は、印象が変わるものかいなとそれを懐かしさもあって見たかった。
そういう訳で、山口は俵山での勉強会からの帰り道、山陰方面に帰路をとったのである。


まずは有福温泉に三つある外湯の中、二十年ぶりに御前湯に入った。一番人気という風呂である。身と骨が解けるような心地よさの中で、お念仏申した。透き通るような単純泉で、温度は少し高め。タイル張りの綺麗な浴室で、シンプルなれど、地元の方か、あるいは旅行者か、何人かの入浴者は途切れることがない。山陰の伊香保、などと呼ばれるようだが何も伊香保と並べる必要はない。島根県に有福あり、というほどには風流である。
湯に浸かりながら二十年前の自分には、想像もつかない二十年後になったなあと感慨もある。ふと目を閉じれば過ぎ去りし日のことは鮮明で懐かしい気持ちにもなる。なもあみだぶ。これからどのようになもあみだぶに導かれてこの世は渡らせて下さるのかとリラックスしたなかで、将来的には不安にもなり、またたのもしく、うれしくもあった。どのようになろうとも、なもあみだぶに生かされました、と言える。これほど有難いことはない、などと思っていたら当然のようにのぼせた。
さすが、島根の秘湯である。雨の日で気温はそこまででないが、なかなか汗が引かないどころか、湯上りにもしばし汗が吹き出して止まらぬ。なにか有難いことでも言ってやろうと考えて、ご法義の汗が出る出る、と呟いた。盗作である。しかし、楽しいものである。山陰ならではの独り言である。そんなことを考えてニヤリと笑った。
しかし、よく考えてみれば、ご法義の咳は念仏として出るのは分かる。ご法義の汗はなんぞや?これは毛穴から入るとか割とよく聞くからそのことにした。法義の湯に浸かり、毛穴から染み込み、我が穢れの身から御念仏と出て下さる。ということにしておく。
そうして、汗も引き、小さな温泉街に出て、ありがたしゃもじを探した。確かここだったというのはあるのだけれども、どうにも見当たらぬ。汗もまだ出るのでとりあえずざる蕎麦を食べるのである。


ずるずると風呂あがりの蕎麦なんどを食べて、実に爽やかな心持ちであった。島根県は、人口減少著しく、日本で唯一大正の人口を下回り、明治の頃と同じ程だという。そんな過疎の代表のように言われるけれども、昔から島根県は好きだった。免許も益田市で合宿でとった。その好きな土地に久しぶりに訪れて、昔と変わらぬ雰囲気を楽しんでいる。


再び街に出て、くまなく探したけどやはり見当たらぬ。あれは私の思い違いであったのかと残念であった。

仕方なくあきらめて、善太郎餅本店で餅と、善太郎さんの本を買って帰るのである。

途中、善太郎さんゆかりのお寺である、光現寺さんに急遽立ち寄った。前坊守さんが出て下さって、案内してくれた。本堂の荘厳に少し驚いたことがあった。それはここでは触れない。私には有難かった。
善太郎さんの書いたものが多く残っていて、眼福というものであった。ほーうと感心して眺めた。

「拝んで助けてもらうじゃない
拝まれて下さる如来さまに助けられてまいること
こちらから思うて助けてもらうじゃない
向こうから思われて思いとられること
この善太郎」
そうでしたね、なもあみだぶ(^。^)
「この善太郎」これが実によろこばしい言葉だ。
向こうから思われて思いとられること・・なもあみだぶ。なもあみだぶ。

案内されてる中に、



(;゜0゜)あった!20年ぶりの再会。
「宿の女中さんがある時、善太郎さんに「なにか有難いことを書いて下さい」と頼んだところ大きなしゃもじの絵を書いたので女中さんは不思議に思って尋ねると「如来さんはわしらをこのしゃもじのように残らず救いとってやんさることよ」と。
だって(^。^)
日々、必需の道具であるしゃもじから、わしらを残らずという広大なお慈悲のご讃嘆でありました。なもあみだぶ。
善太郎さんが移りすんだ場所から、光現寺さまに合掌して、そうであったか、と帰路に着くのでありました。
有福の念仏ガニは、やはり、妙なる好もしい人であるとの印象を残して、私の口に念仏申させて下さったのでありました。
有福温泉、善太郎さんが同行して下さって、休まるひと時でありました。

なもあみだぶ。(^。^)
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