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新しい仲間


大阪に移動し、14日は何をしていたかといえば、後輩という立場になって下さっている方が試験があるので、ちょっと『天台四教儀』の中、蔵教について一緒に少しだけ勉強らしきことをした。
これがなかなか楽しいものだ。人に説明するほど、勉強になることはない。
15日は『愚禿鈔』についてレポートらしきものを書いてみたりして過ごした。これは、私は何かを研究しているらしいという立場を過ごしているからだ。
こういう楽しみは、サンガあってことで大切にしていきたいと思えるようになった。

この3日間は、車で寝て過ごした。ぶらぶらして力尽きて車で寝るのは常のことだ。これは勉強とはまったく因果関係はない。今夜は布団で寝れると思う。

今思い返すのは2014年。京都の本山で法灯継承式があった。
私もその場に参詣させて頂けたのだが、とても心に残る今は前門さまのお言葉があった。

http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/zenmon/hw_140610.html

本願寺派に他所から来た私は、いつも心にどこか疎外感を描いていたものでした。その中で、居場所を作りたいといらぬ苦労もしてきた。
迷惑なる存在であると思っていたのでありました。
そこに、長い伝統の中でいささか閉鎖的であった、これからは「広い心で新しい朋を受け入れていきたい」と前門さまが仰って下さった事は、忘れ難いこととしてある。
これからは、「一つだけ希望を申します」のお言葉を私がしかと受け入れていきたいと思うのでありました。

どうかなとどうかなと二の足踏んでいた私を、広い心で受け入れて下さった。
そういうことでした。
よろこぶべきことでした。

明日16日は、京都に所用があり、16日は宗祖の命日であること、阿弥陀さまと宗祖にご報告したいこともあるので本願寺さまにお参りして、龍大図書館に本も返して、病院にも行って、桂川のイオンにも寄ろうと思う。


なもあみだぶ。
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バランスを崩すと目もかすむ

なもあみだぶ。
書きたいことは山ほどあり、書きすぎてはボツにするを繰り返していたら一年経ってしまった。
今は色々微妙なる時期で、書きたいことを書き、言いたいことをいう、のは控えるというほどの考えもある。
しかしながら、何かを綴ることは楽しいことなので久しぶりにボツにしないことにしよう。

4年ほども学生をすると、後輩というらしいものも出来る。彼らを所用で車に乗せたのである。

最近、少し、遠くを見ると目がかすむので、思わず「4年も学生やると、目も悪くなる。」と呟いた。
もちろん、「お聖教の読みすぎでな!」と聞こえよがしに付け足して、後輩を困らせることも先輩の役割の一つと言える。
しかし、後輩も立派なもので、しっかりと自分の意見をいうことのできる、そういう優れた後輩に育てられた数年でもあった。

「〇〇さん、それは多分、スマホの見過ぎですよ。(^∇^)」
( ̄◇ ̄;)がーん!見抜いておったか・・。
私は思わず、「そなた、そこに気がつかれたか!」と叫んだことである。

この四年間、スマホは、間違いなく我が友であった。そこから得れる情報は、まるで無限のように感じ、いつでもヒマを見てはお聖教でなく、スマホを見ていたことは、確かに認めねばならぬ。

様々な情報が更新されてないかと確認せねば落ちつかぬ。この状態をまたスマホで確認すると「スマホ依存症」とあった。

気をつけねばならないことだ。その時はまるで、ネットの中が世界のすべてのように思うのであろう。
しかし、我々は知っている。そこは世界のすべてではない。

なもあみだぶ、なもあみだぶと称えもし、聞きもし、そのことを生活の中心にさせて頂いた数年間を賜った。
我称え、我聞く、眼前に広がるが大きなお慈悲に圧倒されながら、少しでもその広大さを窺いたいと非才を省みず、お聖教も開かせてもらいもした。

それはなもあみだぶの聞こえる現場、いえば今ここにある大きなお慈悲、そこに包まれてあった私であったなあとしみじみ。

かって、浅原才市は、
「ええな、世界虚空がみなほとけ、わたしゃそのなかなもあみだぶつ。」
との口あいである。
念仏のみぞまこと、『歎異抄』にはそうあった。

それなのに、今もまたネットに夢中で、そこが世界のすべてかと思えてしまうほどだ。
あほだなあと思うのであった。

そこは重要な情報源でもある。参考にもしよう。
楽しいものだ。世間の事はそれでもいいかもしれぬ。
無論、仏法の事に関しても有意義な情報が多々ある。もはや、何事をするにもネットで情報を得ていく時代である。

しかし、ご法義は、やはり、お同行の方々とも会い、お念仏もし、お聴聞もし、話し合いもし、お出かけもし、人にいうて聞かせてもみたり、一緒にお聖教を読んでみたり、江戸時代の講録にチャレンジしてみたりも楽しい。
今日のお説教は有難かったの、いまひとつだったの(~_~;)と友人と語りあったり。
お勤め丁寧にしてみたり。
そして、またその日々の楽しんだことを綴ってみたり、そういった中で味わうことをとても大切に思う。
なもあみだぶ。

ネットも楽しみつつ、今は、お念仏の現場をこそ大切にしたい。
そのバランスが崩れるとどうもよろしくない。
目も悪くなる一方だ。
念仏申す日々があって、そこを楽しむ私がいて、それを少し綴ってみようとする志も少しながら出るのであった。そのぐらいがバランスがよい。

そこで、私もブログを再開というか新しくしたが、その記事はことごとく長すぎてボツにしてしまった。
ボツにすることもなかったかもなあと思いつつ、ボツになった。
長文になるということは大抵調子にのってる時だから、誤解を生じるような箇所や、論理がぶっ飛んでるとことか、はあ?というとことが多くあって結局はボツになる。難しい。いくつもの記事が結局、アップされなかった。
うう、ネットは怖い。そんな気持ちもあった。今もそう思うこともある。こんな私でも世界中に発信出来る、そして世界中の人とつながることのできる。すごいものである。うう。
その力を垣間見るにつけ、オフラインも心がけて大切にしようと思ったのでありました。

と、あるブログを眺めて思ったのでありました。
(~_~;)目もかすむばかりです。

それでも日常を少しでも綴っていこうと思う。
その綴られる日々が、なもあみだぶを申す日々であるならば有難いことです。


なもあみだぶ。





無題



この度の九州地方を中心とした地震により被災なされている方々に心よりお見舞い申し上げます。


なもあみだぶ。

19日のこと

19日は大切な友人と宮城県、石巻市の道の駅「上品の郷」で待ち合わせ。



ここは、温泉施設もあって、これがなかなかのいい湯でして、訪れた人の満足度の高い道の駅としても有名であります。

震災の年、東北入りして最初の拠点となった懐かしい場所でもあります。

ここで友人と話すこと1時間半くらい。
近況と、ほとけさまのお話しとか。
チャーハンと漬け物を持ってきて下さった。おいしく頂きました。



分かっていたことではあるけれど、あと2年ほど仮設住まいを余儀なくされるとのことでした。
報道について明るく元気に復興進んでます、ということを伝えるべきだとの意見もあってごもっともでございと思うのでありますが、多くの方がまだ仮設暮らしということも私には思うところもおおい。

さて、この道の駅は、近くの上品山からその名をとる。この山は、低山なれど景色よく、上まで車でいける。遠くからでも、山頂のレーダーが特徴的によく見える。

この上品山の名は、上品往生に由来するそうであります。
私は今までも上品往生というように求めてきたこともあったのでありましょう。
そして、仏道を歩む高度な人格を完成しようと張り切ったこともあったのであろう。それがどうにも叶わなかったという歴史がある。ここに今、私がいて、どうにも上品往生という気配はない。

親鸞さまは、「正信偈」に、

極重の悪人は唯仏を称すべし。
我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。

と仰って下さっておられました。
なもあみだぶ。
私はまったくほとけさまを忘れての日暮しであります。その私を忘れて下さらないのがほとけさまであります。
時に私の口から「忘れん親がおるぞよ」と、なもあみだぶが溢れます。

そういえばビッグコミックオリジナルに連載中の「月をさすゆび」なんぞをたまたま立ち読みしていたら、なにやら答辞の場面で、なんでも何十年振りなのにお勤めが出来た、その理由は「お念仏のほうが私のことを覚えていて下さったからです。」とありました。



人はいつだってほとけさまどころではないと生きている。
生きることに必死の有り様がありました。とてもほとけさまに手を合わせる余裕もない。
そんな私を、いつだって忘れず、浄土に必ず生まれさせると仰ってくださるのが阿弥陀さまでありました。
その阿弥陀さまが、私をして合掌させます。口からなもあみだぶとお念仏を申させます。
そのなもあみだぶは、私にお浄土を告げてくださいます。阿弥陀さまの願いを告げて下さいます。
そうして忘れがちなれど、忘れておけんと心して思い出しては励まずにはおられんのが、なもあみだぶを申すことでした。

この度は、多くの方々と会うことが出来ました。有難く嬉しいことでした。

そして、夜もラーメン屋でチャーハンセットを食べたのでありました。
友人の作ってくれたものは本当においしかったのだと思い知らされました。


なもあみだぶ。




17日の日記

いつも私的とはいえ、このたびはごくごく私的に綴ります。

17日は、陛下がご巡幸なされる、ということで女川に向かってみます。



途中、松島基地のブルーインパルスの訓練を眺めます。
2012年は基地の近くに住まいを借りていました。
13年3月、ちょうど町を去る頃、ブルーインパルスが基地に帰ってきてきました。
町の上空を縦横に飛ぶ訓練を見て、心底驚いた。ああ、これがこの町の風景だったのだな、と思ったものでした。





ということで、ご巡幸です。
ところで小さな町ですので、知人と色々会えたのも嬉しいことでした。
是非、会いたい人がいて、訪ねようかとか迷っていたのですが、ひょんなところでお会い出来て、本当に嬉しく思いました。



陛下が訪れて下さったことは、何はともあれ、みなさまの励みと楽しい一時ともなったようでした。陛下にとってもこの町を訪れるのは念願であったと聞きました。
人はみな、それぞれの立場で生きています。それぞれの役割を生きています。
お疲れもありましょうに、いつもテレビで見ていたあの笑顔で手を振られるのでありました。



町を少し走って、海を眺めます。

私の生きるこの世界を懐かしく思うのでありました。
私の去り難き郷里です。
ここで、花が咲いたといっては喜び、春よ来いと泣き、そうして日々を模索するように生きている私があります。




最初はなんだこれ、と思っていた町のキャラクター、シーパルちゃんも、今は可愛いと思うようになりました。カモメではなく、うみねこなのであります。かってはよくカツオを抱いていました。時に津波を殴ったりもしていました。今は一人歩きするようにみんなに愛されて色々な姿で描かれます。

なもあみだぶ。





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