安居

京都で安居に聴講という形で参加しているのである。

思えば、本山の安居を聞かせて貰いたいのう、と志してから、はや七年経ってしまって、心に願い続けた初聴講であって、それだけに感慨深いもので、今、まさに阿弥陀さまのお慈悲の中で育てられ、よちよち歩きの日々が、そのままお浄土へのお導きとは言葉も果ててなもあみだぶ。

暑き日々の中、段々と参加することに意義があるという感じになってくるのだけれども、それでいいのだけれども、しかしながら残りの数日を今日までよりも積極的に楽しませて貰いたいところであります。日々の中、今ここにあるお慈悲を聞かせてもらう、なもあみだぶ。

今日も阿弥陀さまのお慈悲の中での一日でした。
なもあみだぶ。







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山陰1(有福温泉)

島根に有福温泉がある。有名である。
なにがといえば、我らにとっては善太郎さんが有名である。
石見、山陰はいわゆる妙好人の一大産地というべき場所である。阿弥陀如来の本願を聞き、お念仏してお浄土に参る人は、白蓮華の如く希有なのであって、『観経』には人中の分陀利華と仏に誉められ、善導大師は五種の嘉誉をもってその意を明らかにされている。希有なのに一大産地とは何事かと思うかもしれないが、それは科学のものの考え方である。何千何万何億無量の往生人あっても、希有なのである。それがご法義の言い方である。
さて善導大師のお書物には「もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。」とあるのであるから、本来は念仏する人を誉めていうのであって、特にその人の他の行為をもって与えられる嘉誉というのではなく、人里離れたおばあちゃんであろうが、無学な者であろうが兎に角も阿弥陀さまによって念仏する人は、これほどに仏さまのおこころにかない、仏さまによろこばれる人である、というようなことでこの誉めて下さる。どのようなつまらない私であっても、お念仏申させてこの一生を過ごさせる、それがまことに希有であるぞよ、と誉めて下さるのである。お恥ずかしい次第、もったいのうござると言ってみたくもなる。

思えば多種多様な価値観の溢れる現代の中にあって、なんという不思議か、まいるべきはお浄土、たのむべきは弥陀如来と育まれたのである。興正派風にいえば、「やっぱり、阿弥陀さん」である。遠く宿縁をよろこぶばかり。なもあみだぶ。
称える私に手柄なく、念仏は、阿弥陀如来選択の行業であるからであって、釈迦諸仏はそれを説くことをもって出世の大事とされた。それが今、現前としてある、これが有難いことというべきである。
さてさて、石見に仰誓師という僧侶が出て、念仏をよろこんでる人を調べまとめた。それは妙好人伝と名づけられて出版され、今でいうベストセラーとなった。そこから、特に浄土真宗の篤信者というおうか、法を顕わすに奇特な言動あって人にもよい影響を与えた如きの人を特に妙好人といい習わすようにもなった。それはそれで味わい深いところも多くあってその噂話しが我らの楽しみの一つともなっている。なもあみだぶ。ただし、これらの方を信心のモデルケースのように考え、これらの如くと思い悩むと害毒にすらなりうる。これは稲城和上がご本などで指摘して下さってる。精々、茶を飲みながらほうほうと楽しむのがよいだろう。その中で反省もあり喜びもあり、坊さんならお説教の種もあるのだろうかと思う。それは楽しいもので、今なら梯和上の『妙好人のことば』あたりを読むと味わい深く楽しめる。
そうした妙好人と皆に喜ばれた人物の一人に善太郎さんがいる。
言葉は一つをあらわすと、他をあらわせない。書物は一人を取り上げれば他の人は後回しになる。
ふとみれば、無名の数多くの妙好人というべき人がいてご法義を相続して下さった。私の周りにも妙好人はたくさんいるのである。いずこの里、いずこの地、どの時代でも、そういう方々がご法義を相続して下さった。すごい坊さんだけでない。たくさんのお同行の方々にかけて、法を楽しむ。その話しである。

さて、島根は江津市の山あいにひっそりとした温泉場がある。そこが有福温泉である。昔ながらの少し佗しいような温泉街で、温泉好きなら心躍るらずにおれない場所である。そして、名高い善太郎ゆかりの地であるからには、一人で訪れてなんら寂しいこともない。善太郎さんとご法義を語りあい湯に浸かる、という心持ちである。なもあみだぶ。
実は19歳の頃に訪れたことがあった。今から二十年ほど前としておこう。
ずっと気になっていたことがあった。
それが、「ありがたしゃもじ」の記憶である。
なにかありがたいことを書いてくれといったら、阿弥陀さまはこのしゃもじのようにすべての人を救う」というので、大きなしゃもじが街の階段の下に飾られていた、という記憶である。
その時に、腰がくだけて、「あまりたいしたこと言わないのね」と呆れた覚えがある。
今は、印象が変わるものかいなとそれを懐かしさもあって見たかった。
そういう訳で、山口は俵山での勉強会からの帰り道、山陰方面に帰路をとったのである。


まずは有福温泉に三つある外湯の中、二十年ぶりに御前湯に入った。一番人気という風呂である。身と骨が解けるような心地よさの中で、お念仏申した。透き通るような単純泉で、温度は少し高め。タイル張りの綺麗な浴室で、シンプルなれど、地元の方か、あるいは旅行者か、何人かの入浴者は途切れることがない。山陰の伊香保、などと呼ばれるようだが何も伊香保と並べる必要はない。島根県に有福あり、というほどには風流である。
湯に浸かりながら二十年前の自分には、想像もつかない二十年後になったなあと感慨もある。ふと目を閉じれば過ぎ去りし日のことは鮮明で懐かしい気持ちにもなる。なもあみだぶ。これからどのようになもあみだぶに導かれてこの世は渡らせて下さるのかとリラックスしたなかで、将来的には不安にもなり、またたのもしく、うれしくもあった。どのようになろうとも、なもあみだぶに生かされました、と言える。これほど有難いことはない、などと思っていたら当然のようにのぼせた。
さすが、島根の秘湯である。雨の日で気温はそこまででないが、なかなか汗が引かないどころか、湯上りにもしばし汗が吹き出して止まらぬ。なにか有難いことでも言ってやろうと考えて、ご法義の汗が出る出る、と呟いた。盗作である。しかし、楽しいものである。山陰ならではの独り言である。そんなことを考えてニヤリと笑った。
しかし、よく考えてみれば、ご法義の咳は念仏として出るのは分かる。ご法義の汗はなんぞや?これは毛穴から入るとか割とよく聞くからそのことにした。法義の湯に浸かり、毛穴から染み込み、我が穢れの身から御念仏と出て下さる。ということにしておく。
そうして、汗も引き、小さな温泉街に出て、ありがたしゃもじを探した。確かここだったというのはあるのだけれども、どうにも見当たらぬ。汗もまだ出るのでとりあえずざる蕎麦を食べるのである。


ずるずると風呂あがりの蕎麦なんどを食べて、実に爽やかな心持ちであった。島根県は、人口減少著しく、日本で唯一大正の人口を下回り、明治の頃と同じ程だという。そんな過疎の代表のように言われるけれども、昔から島根県は好きだった。免許も益田市で合宿でとった。その好きな土地に久しぶりに訪れて、昔と変わらぬ雰囲気を楽しんでいる。


再び街に出て、くまなく探したけどやはり見当たらぬ。あれは私の思い違いであったのかと残念であった。

仕方なくあきらめて、善太郎餅本店で餅と、善太郎さんの本を買って帰るのである。

途中、善太郎さんゆかりのお寺である、光現寺さんに急遽立ち寄った。前坊守さんが出て下さって、案内してくれた。本堂の荘厳に少し驚いたことがあった。それはここでは触れない。私には有難かった。
善太郎さんの書いたものが多く残っていて、眼福というものであった。ほーうと感心して眺めた。

「拝んで助けてもらうじゃない
拝まれて下さる如来さまに助けられてまいること
こちらから思うて助けてもらうじゃない
向こうから思われて思いとられること
この善太郎」
そうでしたね、なもあみだぶ(^。^)
「この善太郎」これが実によろこばしい言葉だ。
向こうから思われて思いとられること・・なもあみだぶ。なもあみだぶ。

案内されてる中に、



(;゜0゜)あった!20年ぶりの再会。
「宿の女中さんがある時、善太郎さんに「なにか有難いことを書いて下さい」と頼んだところ大きなしゃもじの絵を書いたので女中さんは不思議に思って尋ねると「如来さんはわしらをこのしゃもじのように残らず救いとってやんさることよ」と。
だって(^。^)
日々、必需の道具であるしゃもじから、わしらを残らずという広大なお慈悲のご讃嘆でありました。なもあみだぶ。
善太郎さんが移りすんだ場所から、光現寺さまに合掌して、そうであったか、と帰路に着くのでありました。
有福の念仏ガニは、やはり、妙なる好もしい人であるとの印象を残して、私の口に念仏申させて下さったのでありました。
有福温泉、善太郎さんが同行して下さって、休まるひと時でありました。

なもあみだぶ。(^。^)

新しい仲間


大阪に移動し、14日は何をしていたかといえば、後輩という立場になって下さっている方が試験があるので、ちょっと『天台四教儀』の中、蔵教について一緒に少しだけ勉強らしきことをした。
これがなかなか楽しいものだ。人に説明するほど、勉強になることはない。
15日は『愚禿鈔』についてレポートらしきものを書いてみたりして過ごした。これは、私は何かを研究しているらしいという立場を過ごしているからだ。
こういう楽しみは、サンガあってことで大切にしていきたいと思えるようになった。

この3日間は、車で寝て過ごした。ぶらぶらして力尽きて車で寝るのは常のことだ。これは勉強とはまったく因果関係はない。今夜は布団で寝れると思う。

今思い返すのは2014年。京都の本山で法灯継承式があった。
私もその場に参詣させて頂けたのだが、とても心に残る今は前門さまのお言葉があった。

http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/zenmon/hw_140610.html

本願寺派に他所から来た私は、いつも心にどこか疎外感を描いていたものでした。その中で、居場所を作りたいといらぬ苦労もしてきた。
迷惑なる存在であると思っていたのでありました。
そこに、長い伝統の中でいささか閉鎖的であった、これからは「広い心で新しい朋を受け入れていきたい」と前門さまが仰って下さった事は、忘れ難いこととしてある。
これからは、「一つだけ希望を申します」のお言葉を私がしかと受け入れていきたいと思うのでありました。

どうかなとどうかなと二の足踏んでいた私を、広い心で受け入れて下さった。
そういうことでした。
よろこぶべきことでした。

明日16日は、京都に所用があり、16日は宗祖の命日であること、阿弥陀さまと宗祖にご報告したいこともあるので本願寺さまにお参りして、龍大図書館に本も返して、病院にも行って、桂川のイオンにも寄ろうと思う。


なもあみだぶ。

バランスを崩すと目もかすむ

なもあみだぶ。
書きたいことは山ほどあり、書きすぎてはボツにするを繰り返していたら一年経ってしまった。
今は色々微妙なる時期で、書きたいことを書き、言いたいことをいう、のは控えるというほどの考えもある。
しかしながら、何かを綴ることは楽しいことなので久しぶりにボツにしないことにしよう。

4年ほども学生をすると、後輩というらしいものも出来る。彼らを所用で車に乗せたのである。

最近、少し、遠くを見ると目がかすむので、思わず「4年も学生やると、目も悪くなる。」と呟いた。
もちろん、「お聖教の読みすぎでな!」と聞こえよがしに付け足して、後輩を困らせることも先輩の役割の一つと言える。
しかし、後輩も立派なもので、しっかりと自分の意見をいうことのできる、そういう優れた後輩に育てられた数年でもあった。

「〇〇さん、それは多分、スマホの見過ぎですよ。(^∇^)」
( ̄◇ ̄;)がーん!見抜いておったか・・。
私は思わず、「そなた、そこに気がつかれたか!」と叫んだことである。

この四年間、スマホは、間違いなく我が友であった。そこから得れる情報は、まるで無限のように感じ、いつでもヒマを見てはお聖教でなく、スマホを見ていたことは、確かに認めねばならぬ。

様々な情報が更新されてないかと確認せねば落ちつかぬ。この状態をまたスマホで確認すると「スマホ依存症」とあった。

気をつけねばならないことだ。その時はまるで、ネットの中が世界のすべてのように思うのであろう。
しかし、我々は知っている。そこは世界のすべてではない。

なもあみだぶ、なもあみだぶと称えもし、聞きもし、そのことを生活の中心にさせて頂いた数年間を賜った。
我称え、我聞く、眼前に広がるが大きなお慈悲に圧倒されながら、少しでもその広大さを窺いたいと非才を省みず、お聖教も開かせてもらいもした。

それはなもあみだぶの聞こえる現場、いえば今ここにある大きなお慈悲、そこに包まれてあった私であったなあとしみじみ。

かって、浅原才市は、
「ええな、世界虚空がみなほとけ、わたしゃそのなかなもあみだぶつ。」
との口あいである。
念仏のみぞまこと、『歎異抄』にはそうあった。

それなのに、今もまたネットに夢中で、そこが世界のすべてかと思えてしまうほどだ。
あほだなあと思うのであった。

そこは重要な情報源でもある。参考にもしよう。
楽しいものだ。世間の事はそれでもいいかもしれぬ。
無論、仏法の事に関しても有意義な情報が多々ある。もはや、何事をするにもネットで情報を得ていく時代である。

しかし、ご法義は、やはり、お同行の方々とも会い、お念仏もし、お聴聞もし、話し合いもし、お出かけもし、人にいうて聞かせてもみたり、一緒にお聖教を読んでみたり、江戸時代の講録にチャレンジしてみたりも楽しい。
今日のお説教は有難かったの、いまひとつだったの(~_~;)と友人と語りあったり。
お勤め丁寧にしてみたり。
そして、またその日々の楽しんだことを綴ってみたり、そういった中で味わうことをとても大切に思う。
なもあみだぶ。

ネットも楽しみつつ、今は、お念仏の現場をこそ大切にしたい。
そのバランスが崩れるとどうもよろしくない。
目も悪くなる一方だ。
念仏申す日々があって、そこを楽しむ私がいて、それを少し綴ってみようとする志も少しながら出るのであった。そのぐらいがバランスがよい。

そこで、私もブログを再開というか新しくしたが、その記事はことごとく長すぎてボツにしてしまった。
ボツにすることもなかったかもなあと思いつつ、ボツになった。
長文になるということは大抵調子にのってる時だから、誤解を生じるような箇所や、論理がぶっ飛んでるとことか、はあ?というとことが多くあって結局はボツになる。難しい。いくつもの記事が結局、アップされなかった。
うう、ネットは怖い。そんな気持ちもあった。今もそう思うこともある。こんな私でも世界中に発信出来る、そして世界中の人とつながることのできる。すごいものである。うう。
その力を垣間見るにつけ、オフラインも心がけて大切にしようと思ったのでありました。

と、あるブログを眺めて思ったのでありました。
(~_~;)目もかすむばかりです。

それでも日常を少しでも綴っていこうと思う。
その綴られる日々が、なもあみだぶを申す日々であるならば有難いことです。


なもあみだぶ。





無題



この度の九州地方を中心とした地震により被災なされている方々に心よりお見舞い申し上げます。


なもあみだぶ。

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